SAKURACO
NEWS GALLERY SERVICES ESSAY PROFILE LAB LINK
PROFILE 《櫻子》ができるまでのものがたり

《櫻子》ができるまでのものがたり

それは、それは、9年前。
《櫻子》が形になった瞬間は、1998年の夏の終わりでした。

当時大学2年だった私は、夏休みだったのもあってアトリエと呼んでいる部屋を片付けていました。そうしたら、奥から出てきたビーズの数々。同居している祖母のかつての趣味であった「ビーズ織り」の残りでした。
しかし、祖母はもう細かい作業が億劫になっており、ほったらかしにされていたビーズはかなりの数がありました。これはなんとか活かしたいと考え始め、ちょっと古いイメージもあった「ビーズ織り」で使うのではなく、もう少しカッコいいものにできないかと手を動かし始めました。

そうして遊びで始めているうちに素敵な指輪が出来ました。ちょうど誕生日の近い友人がいたのでその子にあげたらとても喜んでくれ、それでいい気になった私はいきなりギアをトップに上げて、ものすごい数を作っていきました。
とにかく、誰かが喜んでくれるのがとてもうれしかったのです。そして、勇気をもって作ったものをお店に売り込みに行ってみましいた。運良くそこのオーナーが気に入ってくれて置かせてもらえることになり、そこから精力的に人目のつく場所に我が子たちをお披露目してきました。

しかし、委託販売だとなぜかしっくりこなかったのです。
よくよく考えてみると理由はいくつかありました。

・ひとつは、私の作品をどういう人が買っていってくれたか見えないこと
・また、委託だとそこのオーナーの好みで選ばれて、本当に私が出したい世界観をだせないこと
・最後に、ビーズは安くてもろいという固定観念があり、他のシルバーアクセサリーと並ぶと、無難な方へ流れてしまうこと  の3点でした。

この問題を解決するにはやはり自分でお店を持つか、対面販売ができてディスプレイにもこだわれるギャラリーでの展示販売だろうと考えていました。

ただ、その時はまだ新しいものを学びたい欲求が強く、フランス留学を決意し、2002年11月から4ヵ月間ニースに行ったのです。ニースで語学学校へ行った後、パリのオートクチュールの刺繍学校へ行くつもりでした。しかしニースの4ヵ月という、アクセサリーをじっくり作れない環境がむしろ「作りたいっ」という欲求をさらに強くさせました。

そして、6ヶ月間の語学学校の予定を縮め、満を持してパリに移動したのです。降りついた時のパリはバレンタイン前で、寒い中にも真っ赤なバラが街に溢れかえっていました。その光景が私にイマジネーションをもたらしてくれました。

寝ても覚めてもアイデアが浮かんで興奮して眠れない日々が続くのです。その時の私は刺繍学校の見学と入学手続きをしなければいけなく、かなり悩みました。
一見、ビーズを編んでいく作業と、針で糸を布に刺していく作業は細かいことには変わりはなく、同じようなものなのではと思われますが、使う材料と道具が違うと気が乗らなくて作れないということがあります。要するに使う材料にも相性があるのです。
果たして、今自分は本当に刺繍をやりたいのか・・・。技術として身につけておきたいと思っているだけではないだろうか・・・。自分が「今」やりたいことは何か?と自問自答しながらパリの街を朝から晩まで、メトロを一回も使わずに歩き回りました。

そして、あることに気がつきました。「これは使える!」とビーズアクセサリーのアイデアになりそうなものばかり目につき、立ち止まってメモしているのです。こんなにアクセサリーを作りたい気持ちがピークの時に、新しいことを習い始めてもきっと集中できないだろう。今このアイデアを形にしなければ前へ進めないと思い、その一週間後には日本に帰国していたのでした。前以上に集中して作品を作り続け、2003年8月、パリで溢れ返ったアイデアの結晶、〈sakuraco〉初個展を青山で行うことができました。

それから、青山、西荻窪、代官山と色んな土地で個展を開き、その度に多くの素敵な方たちとの出逢いがありました。やはり対面販売は楽しいものです。お客様の喜んだ顔を直に見れるということはなによりの励みになり、そして次の制作作業への糧となりました。

そして2007年2月念願のデパートで個展を開催する運びになったのです。私がずーーと出してみたいと思っていた「松屋銀座」のギャラリーです。
私も気持ちが新たに引き締まり、これを機にロゴを変えてみようと思い、〈sakuraco〉から《Spicy Jewelry 櫻子》へ生まれ変わることになりました。

これからも自分の中で色んなことを試行錯誤しながら、じっくりとこのブランドを育てていきたいと思っています。どうぞお付き合いくださいませ。